父は、昭和8年3月に、10人兄弟の四男に生まれました。父も私と同様の双子でした。父の方が先に生まれましたが、当時双子は先に生まれたのが弟と決まっていたそうです。父は、若い頃は船乗りをしていたそうです。姉が生まれたとき船をおりてトラックの運転手になりました。
弟に聞いた話ですが、親父にはこんなエピソードがあります。
親父の若いときは労働運動が盛んで、労働組合の幹部もしていたそうです。レーニンマルクス主義に傾倒していたいわゆる共産党員だったようです。なぜだか父はそのころの話しをあまりしたがりません。若気の至りということでしょうか。
弟は、今も函館に住んでおり理美容院を経営しています。弟の理容店に、父が定年まで働いていた会社の会長さんが常連客で来店されます。
ある時その会長は昔のことを思い出し、「君のお父さんね、本当に凄い人だったんだよ、、、、」と、 弟に話し始めたそうです。
当時の運送業界などは労働運動が強烈で会社との争いが絶えなかったそうです。労働者が求めていたのは給料と休み、労働者の権利として両方増やせと運動するわけです。経営者は労働者から搾取しているというのがマルクスレーニンの思想だったようで、大変な時代です。
当時は専務をしておられたみたいで、なんとか運動をやめてもらいたくて、何度か家へも来られようです。父はというと、門前払いで、門から一歩も入れるな!とハチマキ姿で怒鳴っていたそうです。今だったら信じられません、会社の専務を門前払いするなんて、、、当時の専務には随分迷惑をかけたと母が嘆いていました。結果、労働運動は功を奏し、労働組合の勝利だったようです。
それから歳月がたち、ある時会社が倒産しかけたことがあったそうです。そんなとき労働組合の幹部だった父は、組合員に働きかけて、「みんなで給料を下げて会社を盛り返そう!」という運動のリーダーを務めたそうです。今度は反対に、組合員側に反発を食らったようですが、なんとか組合員を説得してまわり給料を下げることで合意、斜陽しかけた会社はなんとか持ち直したそうです。
今日現在も、函館運送は日本中を走り回っています。
父と酒を飲んでいるとき、この話を聞いたことがあります。
そっけなく「そんなこともあったな〜」と、あ〜僕は、この人に似たんだなと思います。
僕は、父のことを「おやじ」とよんでいます。父もおじいちゃんをそう呼んでいたからです。 |